研究室だより 3月号(担当:毛)

投稿日:2024.03.23

投稿者: 共通田中研究室

みなさん、こんにちは。田中東子研究室に所属している修士一年生の毛雲帆です。
春一番が吹き、暖かな季節が訪れましたね。もう間もなく新学期が始まりますが、私は本当に楽しみにしています。今回のブログでは、春休みに参加した短期留学プログラムと、それによって生じた考え、さらに一冊の本の紹介をしたいと思います。

実は2月に、フランスのパリ政治学院で「European Affairs」をテーマにした一か月間のSpring Schoolプログラムに参加しました。EUについての経済、法律、歴史的・政治的な観点から深く理解するための知識を学び、そのメカニズムについても学ぶことができました。事前の知識がなかったため、少し不安でしたが、他の学生と一緒に復習をして無事に試験を乗り切ることができました。パリでの一か月は、勉強だけではなく、フランスの社会文化を体験する機会でもありました。

図1:左は初めて̣Sciences Poのキャンパスを訪れた写真、右は最終日の修了式の写真
特に印象深かったのは、動物に非常にフレンドリーな環境です。芝生で自由に遊ぶ小鴨を見かけたり、人々が犬を連れてショッピングや食事、ヨガ、メトロやバスなどを利用する様子を目にすることができました。これらのフランス生活の細やかな観察は、講義中に学んだ環境政策の授業、特に気候変動と生物多様性という重要な課題がEUの多くの議題の一つであることと結びつきます。
図2:左は飼い主の食事を終えるのを待つ犬の写真、右はエッフェル塔の下に日光浴を楽しむ人々と小鴨たちの写真

さて、話が変わりますが、このプログラムがそろそろ終わる頃(3月13日)に、世界初AI・人工知能を包括的に規制する法案が、ヨーロッパ議会で採択されました。田中先生を中心に当研究室が展開されている主な研究課題の一つはフェミニストAIの可能性を探ることであるため、思わずAIというキーワードに惹かれてしまいます。さまざまなニュース報道を見ていると、「安全で人間中心のAIの開発に明確な道筋をつける世界で初めての規制だ」という意義が強調され、AIによって作成された画像や動画がAI生成物であることを明示することを義務付けています。また、個人の社会的評価や影響力を数値化するソーシャルスコアリングシステム、宗教や人種などを基にした分類へのAIの使用と顔認識データベースを構築する目的でのインターネットや監視カメラからの顔写真の無差別収集を禁止するなどの項目からAIによるリスクを管理する法案像がうかがえます。
図3:ブリュッセルにあるヨーロッパ議会の写真©YITONG ZHA

このEUのAI法案を巡る議論は、秋学期に田中先生の「メディア文化研究II」の授業で読んだヤーデン・カッツの『AIと白人至上主義』という書籍を思い出させます。この本では、人工知能開発における「白人性のイデオロギー」の組み込みが指摘され、人種、ジェンダー、階級に関する差別を避けるための「より良いAIの利用」について広範な議論が展開されていますが、その過程でAIのイデオロギーが実際に強化されてしまうと著者は述べています。この本には賛否両論があり、中には著作自体が白人中心主義に基づいているという批判も含まれています。この本とEUの新法案を通じて、AIを中立的な超人間的な機械と見なす見方の盲点と、AIができないことについて再考する機会が得られました。しかし、さらに問うべきは、AIができないことを人間は果たせるのか、ということです。現代社会においては、人種、ジェンダー、階級に関する差別的な構造的不平等がBLM運動やフェミニズム運動など様々な形で顕在化しています。同書の解説者、下地ローレンス吉孝氏は、「AIは既存の社会にある差別を学習し、それを再生産・増幅させる可能性がある」と指摘しています。
図4:『AIと白人至上主義』本の表紙、https://sayusha.com/books/-/isbn9784865283488

こうした中で、AIに関わるリスクは否定できませんが、それをAIだけの問題と断じることはできないでしょう。去年の春学期のデジタル・ヒューマニズムの授業で取り上げられた議論、「科学は捏造や剽窃では破壊されないが、そうした不正が正当な科学と区別されず、普通のものとして受け入れられるようになった時に破壊される」という視点は、AIが生成するすべてのものに対しても同様に当てはまるかもしれません。私たちが情報に対してどれだけの解像度を持っているか、という問いは、現代のAI問題に限らず、長い間続いてきた問題です。最後に、今回のEUによるAI規制法案は、ある意味でAIによるネガティブな側面と、それが反映する人間社会自体のリスクに対する懸念を示しています。AI技術の利用に注目することは確かに重要ですが、この革新的な立法は、AIが使用される全体的な社会的背景や文脈に対する我々の注意を一層喚起しています。一方、ポジティブな方向で、AIは尺度としての存在の発展にまだ大きな可能性があり、デジタル・ヒューマニズムに示されているように、各分野で創造的かつ慎重に挑戦する必要があります。このことも我々が研究室でより積極的に議論し、共同で研究すべき重要な部分だと思います。